剛にはあんなにしゃべれる舌が、とたんに動かなくなってしまう。
31歳のフリーのデザイナー「乃里子」は、仕事も男も楽しんでいる。
いい男に言い寄られると遊ぶことも躊躇しない、自由で奔放、今でいえば肉食系の大人の女性ですが、本当に心を寄せている五郎に対しては自分から「言い寄る」ことができない。
そんな、強くも可愛らしい乃里子の姿を描いた名作を紹介します。
本・著者の紹介
| 書籍名 | 言い寄る |
| 著者名 | 田辺聖子 |
| 出版社 | 講談社文庫 |
| 出版年 | 2010年 |
| ジャンル | 小説 |
| ページ数 | 406 |
著者の田辺聖子さん(1928年3月27日ー2019年6月6日)は、1943年に自身初の活字作品「さら」を発表後、2000年代まで非常に多くの作品を残され、1964年には「感傷旅行」が第50回芥川賞に選出されました。
不勉強で今回初めて知ったのですが、恋愛小説を中心に著作は多く、映画化もされた「ジョゼと虎と魚たち」の原作も田辺聖子さんの作品です。
母校の大阪樟蔭女子大学には「田辺聖子文学館」が設置されており、田辺聖子さんの年表や、壁一面に作品が展示された「田辺聖子 文学ウォール」などが展示されています。
なぜこの本を選んだのか
この本は、このブログでも紹介した「続ける思考」と同じく、本業で買取した本のうちの一冊です。
田辺聖子さんのお名前は、原田ひ香さんの「図書館のお夜食」の中に出てくるメニュー「田辺聖子の鰯のたいたんとおからのたいたん」で気になっていたため、読んでみることに。
本は、本屋さんで選ぶのが楽しいのはもちろんですが、自分では選ばないような本と偶然出会うのも楽しいものだと感じています。
図書館のお夜食は、夜にだけ開館している、亡くなった作家の蔵書が集められた図書館の物語。その図書館にはスタッフも賄いで利用できる食堂があり、様々な本に登場する作中の食事が提供されます。こちらの図書館のお夜食も面白いので、興味がある方はぜひ読んでみてください。
印象に残った一節
本作はとにかく、主人公「乃里子」の魅力、力強さとかわいらしさを愛でる作品だと感じました。
私は彼をまだよく知らず、彼もまだ私をよく知らない。(もっとも、私は自分でも自分がよく分からないところがあるけれど)それでおたがいに会話(やりとり)をたのしみながら、合間に横目で見て、
(これは美味しそうかどうか)
などと考えているのも悪くなかった。
友人と元彼の別れ話の際に知り合った「中谷剛」と乃里子は不思議と気が合い、剛の別荘で「仲良く」なります。本作を読む前は、昭和の女性=貞操観念が強い、と勝手に思い込んでいたので、乃里子の奔放さにちょっと驚きました。
少し良いなと思う男性には奔放な乃里子ですが、本当に好きな五郎にはいつもの調子で迫ることができません。
中谷剛と寝たり、一人で仕事したり、ハイ・ミスのふところをねらったり、便器型の灰皿のデザインを考えている孤独な時間、私はほんとはいつも淋しいと思いつづけているのだ。それからして考えると、心の底で、いつも五郎が欲しいと思っているのだ。
お金持ちでイケメンのボーイフレンドと遊び、フリーランスのデザイナーとして仕事も充実しているけど、乃里子の心の中にはいつでも五郎がいます。
五郎との結婚生活を妄想する乃里子は可愛いですね。
五郎が私の手をとる、としますね。私は何やかやとうれしがらせをいって早いとこ、五郎とベッドへ入ってしまおうとする。もう夫婦だから忙しがることはないのに、私は何だか五郎が、心変わりしやしないかと思って、大あわてで、戸じまりをしたり、床の上のごみをスリッパの先で片寄せたりして、五郎が、
「お風呂へ入ったか?」
「ウン、入った!」
「戸じまりしたか?」
「ウン、した!」
「片付けたか?」
「ウン、片付けた!」なんてやりとりがあって、
「よし、来い!」
なんていわれたらうれしいんだけどなあ、と思わず浮かれてスケッチブックを抛り上げて独り笑いしていた。
この一文もそうですが、特にセリフの部分は軽妙で、ラノベのようにサクサク読み進められたのが印象的でした。そして、とにかく乃里子が可愛いという感想に尽きます。
感想
これほど、読む前のイメージと読後に抱いた感想が違う小説は初めて、というのが僕個人の感想です。
というのも、自分が勉強不足だったというのもあるのですが、「図書館のお夜食」で初めてお名前を知った時に、お堅い昭和の文豪的なイメージを抱いていたから。
もちろん、大作家であることに間違いはないのですが、文体、そして登場人物のキャラクターがイメージしていたものと真逆で、ひと言でいうと「ぶっ飛んでる」という感覚でした。
初出が1973年、まさに50年前の作品であるにもかかわらず、ひと息で読めてしまうほどに読みやすい文体と、薄っすら恋心を抱いてしまいそうなほど魅力的なキャラクター達。田辺聖子さんの作品が今でも愛されていることの理由を知ることができたような気がします。
今作の主人公でもある「乃里子」を主人公とした作品は、他にも「私的生活」「苺をつぶしながら」の2冊があり、乃里子三部作と言われているそうです。
まとめ|時代が違ってもその時代の青春や恋はあるのだと知る
「言い寄る」の初出は、1973年に発行された週間大衆。僕は1982年生まれで母親が40歳の時に生まれた子なので、本の中でアラサーの乃里子は、ちょうど母と同世代ということです。
本作を読んで、一番感じたのが、どんな時代でも若者は若者らしくぶっ飛んでいるし、毎日を悩んで楽しんで生きているという点です。
僕は本業がライターなのですが、以前にシニア向けの記事を書いたときに「今のシニアは、若い頃から演歌や軍歌を聞いた世代ではなくて、若い頃にビートルズやユーミン、松田聖子を聞いた世代」ということに驚いたのを覚えています。
考えてみたら当たり前のことではあるのですが、時代が違っても、その時に生きる若者は、青春や恋の真ん中を生きているのだということが新鮮でした。
昭和の強く、そして可愛く生きる女性の等身大の姿を見たい方は、是非本作を読んでみてください。